📜 原文(文言文)
苏代谓燕昭王曰:“今有人于此,孝如曾参、孝己,信如尾生高,廉如鲍焦、史鰌,兼此三行以事王,奚若?”王曰:“如是足矣。”对曰:“足下以为足,则臣亦足矣。然则王何不使可信者接收燕地,使廉者理财,使孝者养亲?不可,则此三行者,皆以自为也,非以为人也。且夫孝如曾参,义不离亲一夕宿于外,是故臣未尝闻曾参之养亲也,王欲用之,则莫若养亲以市名也。信如尾生高,则不过不欺人耳,王欲用之,则莫若使信者守约,而令不信者行诈也。廉如鲍焦,则不臣天子,不友诸侯,是故臣未尝闻鲍焦之为人也,王欲用之,则莫若使廉者守藏,而令贪者行赂也。此三者,皆天下之所谓贤者也,然而皆以自为也,非以为人也。今王欲建功于天下,则莫若察肖此三者,而观其所以事王也。夫士存则身尊,士亡则身卑,是故明主之使其臣也,不使得专行仁义,亦不使得专行诈伪,必也参而用之。臣闻之:明主之使臣也,使臣尽其能,而不敢擅其利;使臣守其职,而不敢专其权。是故忠臣不避死,以成君之名;烈士不避难,以成君之功。今王有东向伐齐之心,而愚臣知王之不能也。何也?以臣之明,观王之所谓贤者,皆以自为也,非以为人也。王诚能捐声色,出宫女,以娱士;散府库,积粟,以养士;卑辞厚币,以聘士;则三王者,可致也。三王致,则王之功可成矣。”
📖 白话文翻译
蘇代、燕の昭王に謂いて曰く、「今ここに一人の者が有りて、孝は曾参・孝己の如く、信は尾生高の如く、廉は鮑焦・史鰌の如く、此の三種の行いを兼ね備えて以て王に事えんとせば、如何。」燕の昭王曰く、「此くの如きは以て足れりと為す。」蘇代、対えて曰く、「王、以て足れりと為せば、臣も亦以て足れりと為さん。然らば則ち王、何ぞ信ある者をして燕の土地を収めしめず、廉ある者をして財を理めしめず、孝ある者をして親を養わしめざるや。若し行なわれずんば、則ち此の三種の行いは、皆以て自ら為すのみにして、以て人の為に為すに非ざるなり。且つ孝、曾参の如くならば、義として親を離れて外に一宿するを肯んぜず、故に臣、曾参の能く親を養うを聞かざるなり(専ら君に事うるを指す)。王、用いんと欲せば、則ち親を養いて名を沽るに如かず。信、尾生高の如くならば、ただ人の欺かざるのみ。王、用いんと欲せば、則ち信ある者をして盟を守らしめ、信なき者をして詐を行わしむるに如かず。廉、鮑焦の如くならば、天の子の臣と為らず、諸侯と友と為らず、故に臣、鮑焦の能く人の為に為すを聞かざるなり。王、用いんと欲せば、則ち廉ある者をして倉を守らしめ、貪なる者をして賂を行わしむるに如かず。此の三人は、皆天下の所謂賢人なるも、然れども皆以て自ら為すのみにして、以て人の為に為すに非ざるなり。今、王、天下に功を立てんと欲せば、則ち此の三類の人を審かに察し、其の王に事うる所以を観るに如かず。士、存すれば則ち身は尊く、士、亡すれば則ち身は卑し。故に明主の臣を使うや、仁義を専行せしめず、詐偽を専行せしめず、必ず参合して用う。臣聞く、明主の臣を使うや、臣に才を竭さしめて、敢えて利を擅にせず、臣に職を謹ましめて、敢えて権を擅にせずと。此の故に忠臣は死を避けずして、以て君の名を成し、烈士は難を避けずして、以て君の功を成す。今、王、東に斉を討たんとする有りて、愚臣、王の能く成さざるを知る。何の故ぞ。以て臣の観る所を以てすれば、王の所謂賢人は、皆自ら為すのみにして、人の為に為すに非ざるなり。王、能く声を棄て色を捨て、宮女を出だして、以て士を楽しませ、府庫の財を散じ、粟を積みて、以て士を養い、辞を卑うし礼を厚くして、以て士を聘せば、則ち三王の功は、以て至るべし。三王の功至らば、則ち王の功は以て成るべし。」
💡 商战启示录
蘇代の此の論は、人才管理の核心的困境を直指す。多くの表向き徳才兼備とされる者は、その忠誠と能力が往々にして個人のブランドに奉仕し、組織の目標には奉仕しない。現代の商戦において、企業はしばしば「高業績スター」を「高組織忠誠者」と誤認する。某ハイテク大手が高額で招聘した「空降幹部」は、履歴書は華やかで業界の評判も極めて良いが、入社後はまず個人の影響力を経営し、果ては核心チームを率いて独立するに至る。燕昭王が直面したのは正に此の類のリスクである——孝・信・廉の「道徳的資本」が、値踏みして売りに出す駒として利用され得るのだ。蘇代の破解の道は「参而用之」に在り。単一の美徳に盲信せず、「能力と位の匹配、権利と責の対等」の機制を建立し、従業員の能力を具体的な職位に於いて組織的価値を生ぜしめ、個人的プレミアムとはせぬ。例えば、華為の「輪値CEO」制度は、個人の専門性を発揮しつつ、制度の束縛により権力の私有化を防ぐ。阿里的は「廉正」と「績效」を分軌で考課し、道徳の標榜が管理の盲区となるを避ける。より深き啓示は、指導者の用人之道は、蘇代の言う如く「臣に其の能を尽くさしめ、而して敢えて其の利を擅にせず」と為すべきであり、株式インセンティブ、プロジェクト制の授権、透明なる監査を通じて、個人の私利と組織の目標とを束縛するに在る。真の賢才とは、道徳的完人に非ず、規則の中で増量を創造し得る者である。