第305篇 濮阳人吕不韦贾于邯郸
出处:战国策·秦策五
📜 原文(文言文)
濮阳人吕不韦贾于邯郸,见秦质子异人,归而谓父曰:“耕田之利几倍?”曰:“十倍。”“珠玉之赢几倍?”曰:“百倍。”“立国家之主赢几倍?”曰:“无数。”曰:“今力田疾作,不得暖衣余食;今建国立君,泽可以遗世。愿往事之。”秦子异人质于赵,处于聊城。故往说之曰:“子傒有承国之业,又有母在中。今子无母于中,外托于不可知之国,一日倍约,身为粪土。今子听吾计事,求归,可以有秦国。吾为子使秦,必来请子。”乃说秦王后弟阳泉君曰:“君之罪至死,君知之乎?君之门下无不居高尊位,太子门下无贵者。君之府藏珍珠宝玉,君之骏马盈外厩,美女充后庭。王之春秋高,一日山陵崩,君用危,如前计。君之危若朝露,尚能欲寿长乎?今力劝王后令太子归,则太子用事,君之权不亦轻乎?不若劝王后立子异人,则子异人无国,而得立为王,王后之功也。君之相秦,不亦易乎?”阳泉君曰:“诺。”入说王后,王后乃请赵而归之。赵未遣,不韦说赵曰:“子异人,秦之宠子也,无母于中,王后欲取而子之。使秦而欲屠赵,不顾一子以留计,是抱空质也。若使子异人归而得立,赵厚送遣之,是不敢倍德畔施,是自为德讲。秦王老矣,一日晏驾,虽有子异人,不足以结秦。赵乃遣之。异人至,不韦使楚服而见。王后悦其状,高其知,曰:“吾楚人也。”而自子之,乃变其名曰“楚”。王使子诵,子曰:“少弃捐在外,尝无师傅所教学,不习于诵。”王罢之,乃留止。间曰:“陛下尝轫车于赵矣,赵之豪桀,得知名者不少。今大王反国,皆西面而望。大王无一介之使以存之,臣恐其皆有怨心。使边境早闭晚开。”王以为然,奇其计。后吕不韦相秦,封为文信侯。
📖 白话文翻译
濮阳の呂不韋、邯鄲にて商いをなし、秦の質人たる公子異人が趙に在るを見て、帰りて父に問うて曰く、「田を耕すの利、幾倍ぞ。」父曰く、「十倍。」「珠玉を売買するの利、幾倍ぞ。」曰く、「百倍。」「国の君を立てるの利、幾倍ぞ。」曰く、「数え難きほど無量なり。」呂不韋曰く、「今、力を竭して田を耕し働けども、暖衣余食を得ること能わず。今、国を建て君を立てなば、恩沢は後世に伝わるべし。吾、此の事を為さんと願う。」秦の公子異人、趙に質として在り、聊城に居れり。呂不韋、往きて説いて曰く、「子傒は国を継ぐの基業有り、又た母宮中に在り。今、子には母宮中に無く、外に託するに知られざる国を以てす。一旦盟約に背かば、身は糞土の如く死せん。今、子、我が計に従わば、帰国を請い、秦を有つことを得べし。我、子の為に秦に使いせん、必ず来りて子を請わん。」是に於いて秦王后の弟陽泉君を説いて曰く、「君の罪、死に当たるの地に至れり、之を知るや。君の門下の人、高官尊位に居らざるは莫く、太子の門下には貴顕なる者無し。君の府庫には珍珠宝玉を蔵し、君の駿馬は外厩に満ち、美女は後庭に満てり。秦王、年已に高し、一旦崩ずるあらば、君将に危うきに臨まんとす、前の計る所の如し。君の危うきこと朝露の如く、尚お寿を冀わんや。今、力を尽くして王后を説き太子を帰国せしめば、太子権を執らんに、君の権も亦た軽からざらんや。王后を説き公子異人を立てしむるに如かず。然らば公子異人は国無くして、立たれて王と為るを得、是れ王后の功なり。君、秦の相国と為るも、亦た易からずや。」陽泉君曰く、「善し。」宮に入りて王后を説き、王后乃ち趙に請いて異人を帰さしむ。趙、未だ帰さず。呂不韋、趙を説いて曰く、「公子異人は秦の愛する子なり、母宮中に無く、王后、子と為さんと欲す。若し秦、趙を屠らんと欲せば、一子を顧みて趙に留めて計と為さざるは、是れ空しき質を抱くのみ。若し公子異人を帰国せしめて王と立てば、趙、厚く之を送らば、敢えて恩に背き惠に負かざらん、是れ自ら恩を立て和を講ずるなり。秦王老いたり、一旦崩ずるあらば、公子異人有ると雖も、以て秦と好を通ずるに足らざるなり。」趙乃ち異人を帰せり。異人、秦に至り、呂不韋、楚の服を著けしめて見えしむ。王后、其の状を悦び、其の智の高きを以てし、曰く、「我は楚人なり。」即ち之を子と為し、乃ち名を改めて「楚」と曰う。秦王、詩書を誦せしむ。曰く、「我、少にして外に棄てられ、師傅の教え無く、誦習に熟せず。」秦王乃ち止め、留めしむ。後、間を窺いて曰く、「陛下、嘗て趙に車を御せしに、趙の豪傑、名を聞く者少なからず。今、大王帰国し、皆西に向かいて望む。大王、一の使いをして之を慰めしむる無し、臣恐らくは皆怨心を懐かん。願わくは辺境は早く関を開き遅く閉じんことを。」秦王、其の言を是とし、其の計を奇とせり。後、呂不韋、秦の相国と為り、文信侯に封ぜらる。
💡 商战启示录
呂不韋の商戦における知恵は、「奇貨居くべし」という株式投資の論理を極限まで発揮したことにあった。彼は異人を「成長株」として鋭く見抜き、全財産を投じて「エンジェル投資」を行う大胆さを持っていた。現代のビジネスに置き換えれば、孫正義が馬雲に投資したように、短期的な利益ではなく長期的なリターンを見据えたアーリー・ステージのベンチャー投資に相当する。呂不韋は単に「投資対象」に資金を投じるだけでなく、自ら「ポスト投資マネジメント」に深く関与した。陽泉君や王后を説得し、異人の帰国と即位を企図したその手腕は、強力なリソース統合能力と危機管理能力を示している。彼は各方の利益要求を的確に把握し、「ウィンウィン」の話術で重要人物を説得したが、これは現代のビジネス交渉における利益配分や戦略的提携の手法に通じる。さらに、異人に楚の服を着せて王后に拝謁させたのは、ブランド・ポジショニングと感情マーケティングの巧妙な応用であり、差別化されたイメージを構築して重要な支援者を得るための戦略であった。呂不韋の成功はまた、「退出メカニズム」を理解していた点にもある。最終的に彼は秦の宰相となり、商人から政治家への身分の飛躍を遂げたが、これは現代の企業家が資本運用を通じて産業の核心層に参入する姿に類似している。彼の物語が企業に示す教訓は、最も高明な投資とは財務的投資のみならず戦略的投資であり、被投資企業の成長プロセスに深く関与し、政治・政策上の優位性を巧みに活用することで、価値を指数関数的に拡大させることにある。